Seoulの韓国人






朝食後に農作業が始まるが、どんな仕事でも正午には終わり、再開は決まって翌朝である。
昼食を済ませると、男達は昼寝をするか、あるいは街頭に繰り出し、長いキセルをくわえながら
互いの間で、あるいは通行人と話を交わしつつ夕食まで時間を過ごす。
ガリーナ・ダヴィドヴナ チャガイ 『朝鮮旅行記』


猫車2

 



キムワンソプ(金完燮)はこう言っている
『親日派のための弁明』

・現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会

 死亡当時、すべてのコリアンにとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として
華麗に復活した現象は、コリアン人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。

 コリアンが李朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが
良くなっていると考えるのは、当時のコリアの実態についてきちんと分かっていないためだ。

 特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの
歴史ドラマを観ながら、コリアもそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば、静かで
平和な国家を保てたろうと錯覚する。

 しかし日本が来る前のコリアは、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。


1880年代のSeoul南大門大通り(中心街)


上下の写真ともに、通りに面した藁葺きの建物は、商店



1897年のSeoul 南大門大通り 城門の前は商人の店


1900年のSeoul 南大門大通り


Seoulの様子


韓国人の女性たち


Seoulの韓国人・Color補正版


猫車1


(上)日本統治前、(下)日本統治中



お薦め参考文献 LINK
"Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird
『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』 イザベラ・L. バード

英国人女性旅行家 Isabella L. Bird が朝鮮を訪れたのは、1894年、62歳の時である。以後3年余、Bird は
4度にわたり朝鮮各地を旅した。折りしも朝鮮内外には、日清戦争、東学党の反乱、閔妃暗殺等の歴史的事件が
続発する。国際情勢に翻弄される李朝末期の不穏な政情や、開国間もない朝鮮に色濃く残る伝統的風土・民俗・
文化等々、Bird の眼に映った朝鮮の素顔を忠実に伝える名紀行。

「朝鮮紀行」("Korea and Her Neighbours")に書かれている李朝末期(約100年前)の朝鮮の姿は凄まじい

・貨幣制度が(ほとんど)ない。
・ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市。
・一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えない。
・道はとにかく悪い。

Bird が見たSeoul
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ
牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から
出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、
土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、
日向でまばたきしている。

ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、
かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。

周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。

Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力が
Seoulにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ
無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした
宗教建築物の与える迫力がここにはない



 

※注※
胸を露出している女性の服装は、現在の韓国の民族衣装であるチマチョゴリの原型です。
家の跡取りである長男を出産した女性にしか胸の露出は許されず、乳出しは当時の女性の誇りだったようです。